チェッカーズデビュー曲から解散までシングル曲を熱烈ファンが振り返る

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1970年代生まれの私は、小学校6年生~20歳までの間、デビューから解散までずっとチェッカーズを追いかけていました。

彼らの奇跡を忘れないために、シングル・アルバム・コンサート・グッズ・DVDなどを思い出せる限りまとめて行こうと思います。(ちょこちょこ追記して行きます!)

武道館で行われた解散コンサートにも行きました!

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目次

チェッカーズデビューから解散までのシングル作品集

1983年9月にシングル「ギザギザハートの子守唄」でデビューしてから解散するまでの10年間はあっという間!

涙のリクエストでチェッカーズのとりこになり、そこからはとにかく沼!沼!沼!沼ハマです。チェッカーズ沼にどっぷりとつかり、父親には⚫チガイとまで言われました(笑)

チェッカーズ・アイドル期シングル売上枚数

タイトル発売日売上枚数作詞・作曲
ギザギザハートの子守唄1983年9月21日39.6万康芹
涙のリクエスト1984年1月21日67.2万売芹
哀しくてジェラシー1984年5月1日66.2万売芹
星屑のステージ1984年8月23日60.4万売芹
ジュリアに傷心1984年11月21日70.3万売芹
あの娘とスキャンダル1985年3月21日51.6万売芹
俺たちのロカビリーナイト1985年7月5日44.7万売芹
HEART OF RAINBOW 愛の虹を渡って
ブルー・パシフィック(12インチSG)
1985年9月21日29.5万売芹
神様ヘルプ!1985年11月1日35.2万康芹
OH!! POPSTAR1986年2月21日35.4万売芹
Song for U.S.A.1986年6月5日32.6万売芹

※康→康珍化 売→売野雅勇 芹→芹澤廣明

デビューからの10曲(12インチを除く)は、バリバリのアイドル期。売野雅勇&芹澤廣明コンビによる楽曲が大ヒットを連発します。

ベストテンに3曲同時ランクインと言う快挙

思い出深いのは、当時放送していた音楽ランキング番組(ザ・ベストテン/ザ・トップテン)で、同時3曲ランクインと言う前代未聞の記録を打ち立てたことです。

2曲目の涙のリクエストがまずヒットし、その後人気が高まりデビュー曲のギザギザハートの子守唄も上昇、さらに新曲「哀しくてジェラシー」が発売され、ベスト10以内に3曲が同時ランクインすると言うすごい現象が起きました。

チェッカーズの地元、福岡県久留米市からの生中継での大混乱ぶりが今でも目に焼き付いています。フミヤ氏の母校・南筑高校からの中継でしたよね。

チェッカーズ・アイドル期シングルで好きな曲は?

アイドル期の中でどの曲が一番好きか?と聞かれたら一曲に絞ることができないので、この2曲を選びます。

どっちも大好きな楽曲です。

  • ジュリアに傷心
  • OH!! POPSTAR

ジュリアに傷心(ハートブレイク)は1985年度年間オリコン1位の曲でもあり、チェッカーズの楽曲で最も売れたシングル(70.3万枚)です。

イントロでの尚之のサックスがとても印象的な、チェッカーズ色がとっても強く出ている楽曲だと思います。

令和のアイドルも歌番組でカバーしてくれたりする曲!

衣装もとっても派手!青と赤のチェックが眩しくて、振り付けも良かったし「ザ★アイドル!」と言う感じがとってもしましたね。人気もどんどん上がって行って、ベストテンでもた~くさん見た記憶があります。

一方、「OH!! POPSTAR」のイントロはギターから始まるのですが、なんと享と尚之のツインギターだったんですよね。アイドル期のシングルでは唯一サックスが使われていない楽曲です。

この曲が流れると脳がパッと中学2年生の冬に戻るんですが、そういうことってありませんか?

当時の思い出が「OH!! POPSTAR」と共に詰まっていると言う感じですね。

昭和の時代、新曲を初めて聞くのってAMラジオが主流で、三宅裕司ヤングパラダイスの中の「おねがいチェッカーズ」で聞いたのを思い出すんですよ…(細かすぎる記憶w)

衣装も奇抜で、詰め襟の学ランなんだけど下はセーラー服のスカートでサスペンダー、フミヤのヘアスタイルはチリチリパーマヘア(可愛いの❤)で、かなりインパクトが強かったです。

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カップリング曲(当時はB面)の武内享氏作曲「おまえが嫌いだ」も大好きで、かなりリピート(今で言うヘビロテ)で聞いてましたね~。

チェッカーズシングル曲のエピソード

また、当時テレビやコンサートでは高杢と政治がコーラスをしていましたが、どのシングルもレコーディング(カラオケ)は芹澤廣明さんがコーラスをしていました。

良くカラオケテープを買って聞いていたので間違いないです!

チェッカーズ・オリジナルソング期シングル

アルバムでは1stからメンバーによるオリジナル楽曲がたくさんありましたが、シングルではデビューから3年経ってようやく、と言った感じでした。

タイトル発売日売上枚数作曲
NANA1986年10月15日24.3万藤井尚之
I Love you, SAYONARA1987年3月5日25.8万大土井裕二
WANDERER1987年7月8日20.5万鶴久政治
Blue Rain1987年11月6日14.9万藤井尚之
ONE NIGHT GIGOLO1988年3月21日15.4万武内享
Jim&Janeの伝説1988年6月29日14.4万鶴久政治
素直にI’m Sorry1988年10月21日19.3万藤井尚之
Room1989年3月21日22.1万鶴久政治
Cherie1989年7月5日15.0万鶴久政治
Friends and Dream1989年12月6日16.6万鶴久政治
運命 (SADAME)1990年3月21日13.5万藤井尚之
夜明けのブレス1990年6月21日28.5万藤井尚之
さよならをもう一度1990年11月21日14.3万藤井尚之
Love ’911991年3月21日15.1万大土井裕二
ミセス マーメイド1991年9月4日21.1万鶴久政治
ふれてごらんplease touch your heart1991年12月4日14.1万藤井尚之
今夜の涙は最高1992年3月21日13.8万藤井尚之
Blue Moon Stone1992年5月21日29.4万藤井尚之
Present for You1992年11月20日36.0万武内享

作詞はすべてフミヤが手掛け、作曲はまーさん(鶴久政治)、尚ちゃん(藤井尚之・フミヤ氏の弟)、裕ちゃん(大土井裕二)、享氏(武内享)が作っていました。

チェッカーズの中でこの4人はメロディメーカーでしたね。

事務所もヤマハ所属から独立してスリースタープロに変わり、バンド色が強くなって行きます(ファンクラブはヤマハコッキーファンクラブからキュートビートクラブへ)。

チェッカーズ・バンド期の思い出

オリジナルの楽曲になってからは「かっこいいチェッカーズのみ」になって行った気がします。

本人たちは解散まで「アイドル」を公言していましたが、自分たちで楽曲も作れてハモれて踊れて、とにかくかっこいいアイドルだったんですよね。

ただ1987年に事件が起こります。そう、ジャニーズの超アイドル「光GENJI」のデビューです。

私と一緒に中学生からずっとチェッカーズファンだった親友も、高校1年の夏、光GENJIのかぁくんこと諸星に惹かれ、ファンを去って行きました…。

1987年8月にデビューしたことで、同年11月に発売されたBlue Rainはなんとベスト10内に1週のみランクインし圏外へ。

その後戻ってくることは無く、最高ランキングも5位と振るわなかったと言う衝撃的なことがありました…。

良くテレビで元シブがき隊のやっくんこと薬丸裕英さんが『チェッカーズはライバル、彼らのせいでファンが減った。だから仲良くしない』と言うことをおっしゃるのですが、その借りは光GENJIによって返されております!と思うんですよね(笑)

でも、光GENJIの出現によってファンは減ったかもしれませんが、解散にまで追い込まれたということは全くありませんでした。

チェッカーズ・バンド期シングルで好きな曲は?

バンド期で好きな曲は…

  • Cherie
  • 運命(さだめ)
  • ミセスマーメイド

でしょうか。でも他の曲もとっても大好きで、全曲とっても思い出がありますね。

やっぱり高校生と言う多感な時期がバンド期だったので、すべての曲に思い出がたくさん詰まっているんですよ。

コンサートもたくさん行きましたし、そのエピソードもたくさんあります。

 えっと、ここまでで疲れてしまったので💦また次回追記しますね!アルバムやコンサートツアーなどは追々記事にしていきたいと思います!

 

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