私はブラック企業に8年勤務し、仕事を辞めさせてくれないパワハラ社長から逃げるように、ほぼバックレて辞めることができました。
この記事では、私が超絶ブラックな会社を、どうやって無事に辞められたのか体験談を綴っています。
今、仕事を辞めたいのに辞められなくて辛い…と悩んでいる方の参考に…ならないかもしれませんが💦
目次
仕事を辞めさせてくれない会社は要注意
80人ぐらいの社員がいる工場に中途採用で入社し、事務の仕事をしていました。数年で班長から総務課の主任になり、社長の激しいパワハラやセクハラを受ける日々にうんざり…。

でも自分には可愛い部下が数人いて、社長からも信頼されて社員の給料計算や銀行など、お金にまつわる仕事を任されていたため、簡単にバックレるわけには行きませんでした。
仕事は好きでしたが、ただただ社長が怖かったんです。とっても怖くて、パワハラ・セクハラのオンパレード。気に入らない社員は徹底的にいじめ抜いて辞めさせると言う恐ろしい人でした。
だから簡単に「辞める」なんて言えるような職場の雰囲気では無かったんですよね。こんなパワハラ・ワンマン社長が経営している会社は本当に要注意です。

絶対に休めない会社はヤバい
主任の上には部長がいるのですが、私の上には社長しかいませんでした。直属の上司がパワハラ社長って、こんな辛いことはありません。
自分の仕事もこなしながら社長の秘書のようなこともこなし、社員全員の勤怠管理もする。社長から「なんで⚫⚫は休みなんだ?休んだ分は誰が働くんだ?」と私が聞かれます。それはその部署内でやることじゃないの…。
社長は社員が休むことを極端に嫌い、多少の熱があっても出社しろ!と言う考えの持ち主です。令和だったら絶対にあり得ないことですが、平成にはそれがまかり通っていたのですから恐ろしいです。
1年間、無遅刻無欠勤だった社員には臨時賞与が出て、表彰される制度がありました。どうせ休めないならそれを狙おうと皆がんばっていましたね。私も病気で休む事はとても少なく、きっちり休めたのは祖父が亡くなった時だけでした…。
有給があっても、使うのは病気や通院の時だけです。何か他の理由がある時は、直接社長にお伺いを立て「仕方がないなぁ、休んでもいいよ」と有給届けに押印してもらわなくてはなりません。しかもそれは自分だけではなく、全社員の欠勤・有給届を私が社長に説明し、押印してもらわなくてはならなかったのです。
あり得ませんよね?体がいくつあっても足りませんし、文句を言われるのは全部私です。こんなことが毎日続けば、精神的に崩壊していくのは他の社員にも想像がついたことでした。
会議ばっかりやってる会社はヤバい
とにかく会議の多い会社でした。しかも無駄な会議ばかり(^_^;)
会議やってる時間があったら、現場の作業をしたい、指示を出したい、客先と打ち合わせしたい、そう考えている上司たちが可愛そうでした。もちろん私も必ず出席していたので、地獄でしたね。
会議が始まるのは定時を過ぎてから、しかも毎日です。
班長以上会議、主任会議、経営会議、などまとまりのない会議が連日行われ、主任になってからは定時で帰ることができなくなりました。こんな会社はヤバいです。
退職するまでの長い道のり
会社を辞めたいと言う気持ちはだいぶ前から膨らんでいましたが、どうやって辞めれば良いのかがわからず、悶々とする日々でした。
社長のパワハラで精神的に異常
精神的に追い詰められていくと、体のあちこちにも異常が出てくるものです。
神経性胃炎から始まり、原因不明の脇腹の痛み。地元の町医者に頭の先から全部検査してもらいましたが、どこにも異常は無く、私の辛い話を聞いて「辞めて良いんだよ」と言ってもらえたことが嬉しくてその場で号泣。辞める決意をしました。
一大決心をして退職届を提出!
もう辞めるしか無い!こんなに辛い毎日は嫌だ、私にはまだ未来がある、そう思っていました。まだ30歳になったばかりだったんですから。
定時を過ぎて、社長に退職届を提出。あとはねちっこい話をされても頑張って辞めるんだ!と意気込んでいましたが、事はそう簡単ではありませんでした。
社長からは非難轟々、「こんなの破ってやる」「無責任だ」「今から他のことをやるなんて遅い」同じ話を延々と2時間以上、立ったまま説教され続けました。
「あぁ…、私この会社辞められないんだ」そう思うと悲しくて辛くて涙が出ましたが、そんな私を見て社長は「お前は疲れてるだけだ」と言って抱きしめたのです。
抱きしめたのです。
抱きしめたのです。
気持ち悪っ!もう終わりだ…。そう思いました。その日、家に帰ってどう過ごしたかも覚えていませんが、翌日はきちんと出社しているんですよね…。
あからさまな引き留めが始まる
私が疲れているだけだと本気で思ったようで、次の日から私の仕事を各部署に振るようになりました。
そんなんで私を引き留めようとするなんて…。
でも、そういう事じゃないんです。
- 毎日他人のことで叱られるのが嫌!
- パワハラがキツイ!
- 突然怒り出すから常にビクビク
- とにかく怖い!
その根本的な原因が変わることは全くありませんでした。
仕事が少し減ったくらいで私の気持ちは何も変わることは無く、どうやったらこの会社を辞めることができるのか?それだけを考えるようになりました。
仕事を辞められないとうつ状態に?
辞めたいのに辞められないと言うのは本当に辛いもので、精神的にどんどん追い詰められていきました。
サザエさんシンドローム
サザエさんシンドローム(症候群)をご存知ですか?
日曜日の夕方から深夜、「翌日(月曜日)からまた通学や仕事をしなければならない」という現実に直面して憂鬱になること。
引用元:wiki
日曜の夕方、サザエさんが始まると「あぁもう日曜日終わる、明日から仕事に行かなくちゃ」と憂鬱になる状態のことです。
でも私は、「あぁ、もうあと一日しか休みがない」と土曜の夜にはもう憂鬱になっていました。だから金曜日の夜が一番ほっとする時間だったのです。
社長より退社が遅い毎日
前より仕事が減ったはずでしたが、気づけばまた元通りの作業量に戻っていました。
しかも会議ばかりやっているので、実務をする時間が削られたのを埋めるために
- 早朝6時半に出社
- 掃除をして仕事開始
- 社長が出社したらお茶を入れ
- 8時から朝礼
- 仕事開始
- 昼休みは社長が席を外すまで待機
- 昼食・つかの間の昼寝
- 定時に会議スタート
- 6時会議終了
- 社長が退社するまで仕事・仕事・仕事
コレが毎日です。耐えられますか?
なのに突然社長が怒り出します。夜の9時を回っていました。「お前らいつまで仕事してるんだ!さっさと帰れ!」と怒鳴り出しました。

心の中で叫びましたが、今思うと、社長はサイコパスだったんじゃないかと思いますね。
昨日まで「これは白だ」と言っていたものが突然「これは黒だろう!」と言い出す人でしたから。
もう無理!バックレるしか無い?
退職届を出しても受け付けてくれないなら、もうバックレるしか無いのか?どうやって辞めれば良いんだろうと考える日々でした。
退職届は2週間後に効果を発揮
本来なら、民法627条1項では
期間の定めない労働契約の場合、原則として労働者はいつでも辞職の意思表示が可能で2週間経過後に退職の効果が生ずる
と決められているので、提出してから2週間後には辞めても良いわけなのですが、さすがに退職届を叩きつけて「辞めます!」とは言えないですよね。
辞めたいのに辞められないジレンマに私はどんどん追い詰められて行き、ほぼうつ状態になっていたと思います。
ほぼうつ状態で決めた危ない辞め方
バックレるためにはただ無断欠勤をしただけじゃ意味が無いし、家に来られても怖すぎる。
じゃあ病気になるしかない、でも全然倒れないし…。どんなに激務でも精神的に追い詰められてもぶっ倒れたりしないんですよ、不思議ですよね。なんで私倒れないんだろうって思ってました。
病気にならないなら、自分を傷つけるしかない、もうそれしかない!
と私は思いました。傷つけると言ってももちろん自殺なんてする気はありません。早くこのブラック企業から解放されたい、会社に行きたくない!その気持だけだったので、「自分を傷つけてやめる」と言う結論に達しました。
こんな重い悩みを相談する人も居なかったので、ネットの掲示板で見ず知らずの人にチャットで話を聞いてもらいました。するとその人は医者を名乗っていて「あなたはもう鬱ですよ、辞めていいんですよ」と言ってきました。
その言葉で「よし!やってやる!」と心を決めたんです。全然知らない人でしたが、相談して良かったなって思いましたね。
あ、でもこの辞め方は絶対におすすめできないのでやらないようにしてくださいね、絶対ですよ。今は「退職代行」と言う素晴らしいサービスがあるので、そちらを利用してくださいね。
親の力も借りて退職へ!
そして当日の朝、私は少し過呼吸になっていたと思いますが、腕の中ほどをカミソリで傷付けました。死ぬ気なんて無いので、血が出るくらいの浅い傷です。
そして母親の元へ走って行き、「もう会社行きたくない、会社に電話して」と泣きじゃくりました。母はびっくりして、すぐに会社へ電話をし、説明をしてくれました。
まだ社長は出社していなかったので、誰が電話に出たのかわかりませんが、とりあえずその日は欠勤です。それだけでもかなりホッとしたのを覚えています。
驚いたのは両親ですよね、父にも母にも大きな心配と迷惑を掛けてしまいました💦その後すぐに心療内科へ行き、うつの診断書を書いてもらいました。これがあれば辞められる!そう思って嬉しかった…。
今も傷跡は残っていますが、このやり方じゃないと私は辞められませんでした。辞めたいと言えば責められるわけですから、バックレるしか方法は無かったと思うんです。
でも本当に誰にもおすすめできない方法です。
何も傷をつけなくても、心療内科へ言ってすべてを話して診断してもらえば良かったんですよね。でも「嘘だろう」なんて言われたらどうしようと思ったら傷つけることしか頭に浮かばなかったんです。
社長と直接対決!
鬱の診断書を手に入れた私は完全に退職するために、行きたくはないけど母親に付き添ってもらい会社へ行きました。
社長は「待ってる」と言いましたが、私は泣きながら包帯を巻いた腕をさすって「辞めさせて下さい」と懇願しました。
さすがにこれは無理か…と思った社長は「じゃあ鍵を返して」と、会社の鍵を返すように言ってきました。えぇ、もちろんですとも!全部返しますとも!
若干30歳の小娘が、会社の鍵を持って朝早くから夜遅くまで働いていたんです。この鍵を返せば私は自由だ~!そう思いました。
退職しても離職票が貰えない?
うちの会社は本当にブラックで、社会保険は3ヶ月勤務してからじゃないと加入させなかったですし、労災隠しもしてましたし、サービス残業で労基も入りましたし、なんなら脱税で捕まったこともあります。
本当にブラックすぎるブラック企業でした(^_^;)
だから離職票もすぐには貰えず、しばらくは音沙汰なし…。もう意地悪することしか考えていないんです。子供みたいですよね。
離職票がないと私も次のステップに進めないですし、退職金の手続きもしてもらえないので、母親に催促してもらい受け取りに行ってもらいました。きちんと約束した時間に行ったのに母親を1時間近く待たせるという意地悪が炸裂。もう本当にクソな会社&社長でした。
退職してどう変わった?
完全に退職した私の体調はみるみる回復して行きました。会社に縛られていた見えない鎖が無くなり、自由の身になれたことが本当に嬉しくて、解放感でいっぱい。
ただ、親はかなり心配していたので、毎日のように外に連れ出されました。家にいると自殺するんじゃないか?と思っていたようですね。そんなつもりは全く無かったので、本当に申し訳なかったと思います。
心の傷を癒やす旅へ
でも、それからは全く休みのなかった日々を取り戻すかのように、あちこち親子3人で旅行に出かけたのがとても楽しくて、癒やされましたね。親には感謝しかありません。
数ヶ月間、休ませてもらってから再就職の活動を開始しました。
派遣社員の道へ
正社員になると煩わしいことが多いな…、派遣社員になって短期間働くのもいいかも?そんな気持ちで派遣もやりましたし、アルバイトもやりました。
最終的には家で仕事をするフリーランスになりましたが、もう正社員勤務は無理かもしれませんね。
派遣社員時代は賞与無しなのに仕事はキツイ、と言う正社員との格差にかなり悩みましたが(^_^;)
まとめ
私がほぼバックレて会社を辞めた顛末をお話させてもらいました。
なにそれ?と思う方もいるかもしれませんが、「自分を傷つけるしかない」と言う気持ちになるまで追い込まれた結果です。
今仕事が辛くて辞めたい、辞めたいのに辞めさせてくれなくて辛い、と言う方は心療内科へ相談したり、もう会社へ行かなくても退職できる退職代行サービスを使うなど、自分を守って退職するようにしましょうね。
一日も早く、平穏な日々があなたにも訪れますように。